仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

心室中隔欠損症の治療の経緯

二人の息子がいますが、上の子が心室中隔欠損症という心臓の壁に穴が開いたままふさがらない先天性の病気をもって産まれてきました。

 
今は年間約100万人の新生児が産まれるのですが、内1万人程度はこの病気をもって生まれてくるようです。発症率は大体1%程度です。上の子は不運なことに、この病気をもって生まれてきました。
 
この病気は、心臓の内部の壁に穴が開いていることによって、本来流れないところに血流が生じるので、体になんらかの影響があります。穴の大きさやその場所によって、対処、治療の仕方が大きく変わってきます。
 
息子の場合は、穴の大きさは小さかったのですが、穴の場所が弁の近くで、弁の機能を阻害してしまう可能性が将来的にあるという医師の診察で、経過を観察しながら、折を見て手術をしたほうが良いという判断でした。
 
穴の大きさと場所次第では手術の必要がないケースもあるようですが、中学高校になって負担が出始めるリスクなどもあることから、今となっては、あの時手術をしておいたほうが良いと医師に言われて良かったなあなどと思ってしまいます。
 
3歳ぐらいまでは、3ヶ月毎に経過観察をしていました。手術をするのは、5歳くらいが体もしっかりしてきて、輸血も必要がないから良いだろうということで、先生を信頼し、言われた通り手術に向けて夫婦共に心の準備をしました。
 
手術の前には本格的な内部の状況を確認しておくため、カテーテルでの検査が必要でした。これは子供には結構ハードで、全身麻酔ではなく、おぼろげに意識があるという程度の麻酔で、足の付け根のあたりから管を入れるため、痛みは感じないものの違和感を覚えて大抵暴れるそうです。うちの子も例外でなく、大層暴れたそうです。
 
この検査の前後2日間は入院が必要なので、5日間程度は病院にいることになります。核家族の場合は、夫婦共に仕事を休んで付き添いすることになります。
 
カテーテルの検査結果を見て、どのような手術になるかを医師のチームがミーティングで決定した後で私たちに報告する機会が設けられます。これは結構形式的な意味合いが大きかったと思います。
 
検査の後は、状況が変わらないうちに手術をする必要があり、1ヶ月後には手術をすることになります。手術の日程は意外に少ないので、こちらの都合などは関係ありません。
 
息子の場合は、金曜日に入院し土日を病院で過ごした後、月曜日に手術というスケジュールでした。
手術の前に担当医から、手術の詳細についての説明があります。手術の方法なども詳細に教えてくれます。またその際のリスクについても細かく説明を受け、同意書にサインします。心臓の手術の場合は、どうしても心臓を一旦止める必要があるので、他の臓器の手術よりもリスクはやはり高くなるようです。
場合によっては死亡するリスクもあるなどという話を聞くと、やっぱりやめようという気になったことを少し覚えていますが、そこは医師がきちんと安心させてくれました。
 
手術の当日は手術室の少し手前までは一緒に行けますが、後は医師が子供を連れて行きます。息子も5歳なので、何か大変な状況は理解していたようで、離れた瞬間に泣き始めました。私も妻もその時は泣かずに見送りましたが、ドアが閉まった瞬間に二人で号泣したことは忘れられません。
 
そのあとは待合室でただただ待つのみ。ずっと部屋にいても気が滅入るので外に食事に出ました。4時間程度が経過した頃、医師が待合室にきて、処置を終え、人工ポンプを外し、再び心臓が動き始めたと報告がありました。この後は閉じるだけなので特に問題はありませんとのことでした。本当に嬉しかった。
 
その後ICUで手術を終えた後の息子に会えました。口や首のあたりに管があってなんとも痛々しい姿でしたが、こんな小さな体でよく頑張ったと心から感謝しました。子供の回復力とは驚異的で、この週の金曜日には退院することになりました。日を追うごとに体に付けられていた計器類は外され、術後2日後には歩いてトイレにまで行けるようになっていました。病院生活に退屈するだろうとあらかじめ用意したDSの助けもあり、あっという間に退院の日を迎えられました。
 
退院後、胸の傷口も順調に回復し、今では細い線がはっきりわかる程度なので、それほど大きな手術をしたという傷跡には見えません。体がどんどん大きくなる前のタイミングで手術をしたので、成長と共に傷は見えにくくなっているようです。
 
この病気は小児の心臓疾患としてはごくごく一般的なものですが、生まれたばかりの子供が心臓の病気と知らされた時は、本当に助けて欲しい、穴が塞がって欲しいと願うものです。ただ、現実問題として一定時間を経過した後は穴が自然に塞がることはありません。しかも今すぐどうこうというケースも稀なので、時間をかけ様子を見ながら、処置を模索することになりますから、大抵のケースは長期化します。
 
息子も手術までに5年かかりました。でも後々考えると本当に最初の頃の診断の通りに経過しましたので、医者の観点からすれば、将来の予測がしやすい簡単なものが多いのかもしれません。
 
今まさに同様の疾患をもって産まれた我が子を心配し、片っ端からこの病気の事を調べているお父さん、お母さんがきっといると思います。勿論程度の差はありますが、大抵の場合は医師の診断の通りに時間は過ぎていくと思います。初めての経験だし、将来どうなるかもわからないので、あれこれと良からぬことも考えてしまいます。ただ、医者の予見よりも状況が良くなることも悪くなることもありません。その通りになります。大丈夫、今の医療が息子さん、娘さんをきちんと治してくれます。大丈夫。
 
術後、私の子供の手術の経緯や、傷口について会社のある先輩に話をした時、その方は何日か経った後で、息子の胸の傷は息子が病気と長期間闘って得た勲章だと言ってくれました。その方が何日かかけて傷口の意味について考えてくれたことが嬉しくて、さすがに泣きました。
確かに今の息子の体は強くなりました。傷もあり、肋骨にはつなぎの金属が固定されたままだけど。普通の子供よりも強くなったような気がします。
 
まだ息子には詳しい話はしていません。が、いつか全てを話して、自分が大きな勲章をすでに持っていることを誇りに思ってくれたらなあと思っています。
この病気の治療を終えたら、私も体験を記録しておこうと思っていました。誰かがこの体験談を見て、少しでも不安が和らげばなあと切に願います。7年前私も色んな方の体験談に救われました。
 
息子も7月で9歳になりました。いつも元気、ありがとう。