仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、そしてー

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことをあくまでゆかいに」
 
作家であり、劇作家であり、脚本家として知られた故井上ひさしさんが生前繰り返していた言葉だ。私はこの言葉が好きで、趣味などについて人と話す際のポイントとして意識している。
 
「むずかしいことをやさしく」自分はよく知っていることでも、それを知らない人にわかりやすく説明するのは難しい。知らない人の目線になかなか降りていけないからだ。それには教えてあげたいという情熱が最も大事なことだと思っている。
 
「やさしいことをふかく」好きな事や趣味、仕事でも、如何に深く追求し、そんなことが沢山あるという人は話が下手でも魅力がある。何でもいいからこれなら3時間ぐらいは話ができるというもの沢山作りたいなあと思う。
 
「ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに」【面白い】と【ゆかい】を同義と捉えるかどうか、私は「面白い」は聞き手が主体で、「ゆかい」は語り手、聞き手の両者が主体になるのではないかと解釈している。難しくて深い話を如何にやさしく、聞き手が興味をそそられるように語ることができるかということ。一方「まじめに」というのは、どういうことだろうか。私はそこに語り手の信念や情熱が必要になると考えている。聞き手にきちんと伝えたい、こんないいことだから教えてあげたい、そんな自主的な動機が必要になると考えているわけだ。そして最後には聞き手も語り手も同様に楽しい気持ちになる。これが理想の教えであり、理想の学びだと思う。
 
私はオーディオと音楽鑑賞が好きで、特にオーディオの面白さを人に教えてあげたいと以前から思っている。先日ある年輩者向けのSNSで、オーディオが趣味という方々に、長年培ってきた経験や体験について、深く面白い話を聞かせてほしいというような投げかけをした際、誰一人として「愉快な」回答をしてくれる人はいなかった。
 
どうやら彼らの多くは、「素人」に教えてあげたいなどとは思っておらず、どちらかというと話の分かる人、話の合う人とオーディオ談義をするのが良いというのだ。勿論それはそれで個人の楽しみだから何ら悪いわけではないのだが、私としては非常に物足りず寂しさすら感じた。