仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

オダギリジョーさん、香椎由宇さんに今お伝えしたいこと

たった1歳の小さなわが子を亡くされたという衝撃的な報道がメディアを駆け巡った。病気や事故などで同様に小さいわが子を亡くされた方も多いだろうが、有名人であるが故に、仕事上の関係から報告せざるを得ない。何とも残酷なことだ。

 

私も小さい子供を2人抱える身であるが、彼ら夫婦が今どれほど絶望に打ちひしがれているか想像だにできないというのが本音だ。自分達も死んでわが子に会いに行きたいと思っているかも知れない。こういうと不謹慎かもしれないが、私はそんな経験は死んでもしたくない。

 

今色んな方々から彼らに慰めの言葉があると思うが、全く関係のないこんな私でさえ、何か言わないでいられない気持ちになったので、このブログに掲載しておきたいと思う。

 

以下、飯田史彦氏著「生きがいの創造」より引用。

 

「ほんのしばらくの間しか、この世にいることができない人も沢山います。そういう人も、みんなと同じように、大いに喜んで生まれていきます。自分たちにも、なすべき目的のあることがわかっているからです。その人たちには、それ以上この世で生きながらえて、成長する必要がありません。なぜなら、自分たちの死が、両親の成長を早める材料になっているからです。」

ー中略ー しかも、決して永遠の別れではなく、いつか(両親が)この世を去ったときに、必ず再会することができます。

 

同様に飯田史彦氏著「生きがいの本質」より引用。

 

「死」というものは、決して、価値や意味のない現象ではありません。いかなる人のどのような死にも、必ず大きな意味があります。

・・・・・以下、5歳で亡くなった子供が生前に語った内容・・・・・

「お母さん、ぼくは、死ぬのはちっとも怖くないで。だって、また天国でみんなに会えるし、また生まれ変わってお母さんの子供になったり、お母さんが僕の子供になったりして会えるから、寂しくないんやで。」 

ー中略ー 子供というのは、5歳くらいまでは、生まれる前の記憶を持っていることがあります。きっと4歳であった息子さんは生まれる前の記憶を持っており、それが死んだ後の状態と同じであることを「知って」いた為、「死んだあとは、ただ、生まれる前の状態に戻るだけなんだよ。だから、全然、恐くなんかないんだよ。」と教えてくれたのでしょう。 しかも、息子さんは、自分たちが何度も何度も家族として生まれ変わっていることを「当然のこと」として知っていたため、「またみんなに会えるんだから、寂しくいないんだよ。」と、平気な顔で口にしたのでしょう。

 

飯田氏の話を小田切夫妻の場合に置き換えると、1歳で亡くなられたお子さんは、今回の人生において自分が設定した目的「両親を精神的に成長させる」を果たしたことに、本来の意識体に戻った今、喜びを感じているし、小田切夫妻がいつか死に、意識体に戻った時にはまた再開できるということだ。 

また、彼ら夫婦と亡くなった子供はソウルメイトであり、これまで色んな生まれ変わりの人生の中で、深くかかわりあっている関係だから、また生まれ変わって別の人生を生きる時にも、深くかかわることになるという。

 

これだけ読むと何かオカルトチックな話になってしまうが、氏の著書を読むとなるほどと思うことも多々ある。大切な人を亡くして絶望に打ちひしがれているというような精神状態の方には本当に救いになるかもしれないと思い、記載した。

 

オダギリジョーさん、香椎由宇さん、亡くなったお子さんは、お二人が後々に精神的に成長された姿を心待ちにしています。そしていつかお二人が亡くなった際に、再開できることを心待ちにしていると思います。少しでも早くお二人が前を向けるようにと願っています。

 

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