仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

いくつもの自分のを育てる

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最近子供の教育のことや、自分の人生について色々考え事をしたり、昔の本を読み返してみたりとどちらかというとインプットに時間を割いていたのでしばらく更新をしていなかった。ただ最低でも1週間以上は開けたくなかったので今日は何がなんでも更新しようと思っていた。

 
昨日会社の人と三人で久しぶりに19:00から飲んだ。三人で飲むと常に仕事の話に始終する。組織のこと、人のこと、経営幹部のこと、ありとあらゆる事で時間は埋め尽くされる。2時間くらいはあっという間に過ぎてしまう。一緒に飲んだ二人は組織上は会社の幹部に当たるのだが、私としてはそれほど気を使わないので言いたいことが言え、飲み会も苦痛ではない。
 
21:30頃にはみんな酔っ払って店を出たのだが、そのままカラオケスナックのようなところに流れ込んで、23:00頃まで2件目をこなした。スナックでは、すでにカウンターで盛り上がっている同じく中年サラリーマンが2組ほどいたが、みんなすぐに打ち解けて、いきなりあだ名をつけて呼んでみたり、「社長!」などと呼んでみたり、初対面の人たちと馬鹿騒ぎになることが多い。一昔前の典型的なサラリーマンの飲み会だ。こんなことが新橋あたりでは毎日のように繰り広げられている。
 
実際私は、このような飲み会は嫌いだ。会社の人と飲む暇があれば早く家に帰って家族との時間を楽しみたいと思っているし、お金ももったいないと思っている。一方で彼ら二人との飲み会は楽しいことが多いし、すごくいい話を聞けることもあり、一旦飲み会が始まると楽しんでいることが多い。
 
大好きな藤原和博さんの著書「味方を増やす技術」にこんな記述がある。ー以下の引用ー
「本当の私」は唯一のものであって、絶対的な「ひとつだけの存在」だと考えてしまうと、自分探しの無間地獄は続く。逆に「いくつもの私」が「私」であって、とりあえず「もうひとり」ぐらい探そうかと楽に考える方がはるかに健康にいいように思う。そのうち、あそこにも、ここにも、友人や上司の中にも、そして恋人の中にも「私のかけら」がいっぱいあることに気付くだろう。ー中略ー   二人の私が、ひとりであった私よりも多層的な人とのつながりを作る。つながりの多様さや、確かさは幸福感の源泉だ。

「いかにも」というサラリーマン的なことが大嫌いな私と、でも時々いかにもサラリーマン的な飲み会で大騒ぎして楽しんでいる私、どちらも本当の私だ。自分の中で共存する、矛盾する私、いずれも大事に育てていこうと思う。