仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

感情先行で行こう ー後編 せめて恋愛ぐらいは ー

前回に続いて。お盆休みの前日にあるチョコレートメーカーにうちの取引先の営業担当と訪問した時の話は、前回のテーマ出しの際にも少し触れた。みんなで打ち上げをやりたいと思って打診したことについてはその通りなのだが、実はもう一つ狙いがあった。

営業担当者は31歳、チョコレートメーカーの企画担当者は20代中盤から後半の女性。単純な話恋愛対象にならないだろうか?と思っていたから、何かきっかけになるような場が必要だと思ったのだ。別にそんなこと頼まれたわけではなく、私の勝手な想いで動いただけなのでただのお節介ではあるが。

さて、この会社を出て営業担当と二人で歩いているときにそれとなくその女性について恋愛対象としてどうか?という話を振ってみたが、彼からの答えは好きか嫌いかについてではなく、お金がなくて彼女なんか作れないというストレートなものだった。

お金がないから結婚なんかできないという話なら聞いたことがあるが、お金がないから彼女が作れないという話は初めて聞いた。私もたくさん恋愛をしてきたが女性と付き合いたいと思う前にお金のことなんか考えたことなど一度もない。お金がないと言っても普通に付き合うぐらいはどうにでもなるのではないか。それとも単に女性に興味がないだけで、私の話を早く終わらせたかっただけなのだろうか?いや、彼の性格上そんな嘘をつくタイプではない。

一方で、異性に多少なりとも興味がある年頃の男性なら、あるとき湧いて出た異性に対する興味を、簡単に抑えられるものだろうか?何も全てにおいて感情に正直であれと言いたいわけではないが、簡単に理性でもって葬り去ることはできないのが普通ではないか?仮に彼の前にそういう存在が突如出現した際、彼はお金がないことを理由に彼女にはアプローチしないと決め込めるのだろうか?女性と付き合うことに本当にお金が必要だと思っているのなら(そもそもその時点である部分間違っているとも思うが)、むしろお金を稼ごうとするのが普通ではないか?どうしてもそんな風に感じてしまう。

結婚は期間に定めのない契約だから意志が必要になるが、恋愛は多少の倫理観と感情だけで十分だと思っている。30代ぐらいならまだまだ若いから、せめて恋愛ぐらいは理性で判断せず、感情を味方につけて感情をうまく利用しよう。溢れる感情をうまく行動に落とし込めれば、良くても悪くてもきっと良い経験になるはずだ。