仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

吉田沙保里さんのインタビューアーは最高だった

今年のリオオリンピックでは、感動的な事が多かったように思う。それには色んな要素がからんでいると思う。ひとつはメディアの報道の仕方によるのかも知れないし、年齢とともに涙もろくなっただけなのかも知れない。たたそんな中でも1つだけ確かなことをあげるとすると、何となく本番の試合以前に存在する各々の選手の努力というものに対しての想像力が豊かになった結果ではないかと思っている。

本オリンピックにおいては、メディア報道では結果的にロンドンオリンピックよりも多かったメダルの数が強調されていたように感じる。劇的な勝利や、大盤狂わせの勝利がいくつもあった。これは確かに喜ぶべきでしっかりと感動できた。

ただ後の印象として振り返った時に感動的なものはどんなシーンだったかと問われると、実質的には負けた人しか浮かんで来ないのだ。競泳の瀬戸、女子卓球の福原、女子レスリングの吉田。選手個人としては負けたことしかないのだろうが、国民感情としては誰一人として負けてはいない。瀬戸は少し趣が異なるが福原と吉田はこれまで二人が引っ張ってきたものがどれ程大きいかを考えた時、二人の活躍は、現時点では誰も真似のできない功績を残していると感じられる。その歴史を推し量れば図る程、彼女たちの試合後のインタビューは号泣に値する感動的なものだったと感じられるのだ。

そんな吉田選手のインタビューは、彼女の残念な結果としての発露という意味で、一言一言が記憶に残るものとなった。勿論それはそれで感動的だったのだが、それ以上に感動的だったのが、インタビューアーのコメントだ。

インタビューアーは三瓶宏志さんというNHKのアナウンサー。これだけの大舞台に最も注目される選手のインタビューをするのだから、インタビューアーのプレッシャーも半端ではないだろう。勿論あらゆる場面を想定して質問内容を考えていたと思う。ただ、彼女の切実な心の叫びを間近で聞き、とっさに個人的な主観が先行したのではないかと思う。「そんなことないですよ。」「そんなことは誰も思ってないと思います。」

ネット上ではこのインタビューに対して称賛するコメントが複数あがっている。彼は国民感情を代弁してくれたと。ただ、私と同じように感じている人がやはりいたかと思う一方で、彼は本当に国民感情を代弁したのだろうかとも思える。

4連覇が当たり前のように標榜された選手が、目の前で全国民に対して懺悔した。誰もが想像すらできなかった状況だ。これだけの選手をインタビューする程の人なら吉田選手のこれまでの歩みや、現状の立場は誰よりも取材しているはずである。そんな万全の準備をして臨んでも、あのコメントを目の当たりにしたら、事前に準備していたテレビ的なコメントなどは吹っ飛んでしまったのではないか、つまりこのコメントは単純に目の前の吉田選手に対して精一杯個人的な主観を述べたのではないかと思えてならないのだ。

いつかリオオリンピックを総括したダイジェスト番組が放送されると思うが、その際、三瓶さんがあのときどんな気持ちでインタビューをしたのか聞ける機会があればと思っている。間違いなく感動的な話が聞けるはずだ。


吉田沙保里 涙のインタビュー 試合直後と表彰式後の2回インタビュー