仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

15年を経て初めて理解できた自分に対する人の評価

年末の大掃除の際にしばらく触っていないクリアボックスの中を整理していた時、いくつかの手紙を見つけた。10年前私の人生の大きな転換期の時に、いろんな人からもらったものをとっておいたものだった。一部の手紙は怖くて中身を見ることができなかったが、一つは以前勤めていた会社を辞める時に、上司や先輩後輩、同僚などからもらったメールなどをアウトプットしたものだった。

そこにはいろいろな内容が綴られてあった。あたりさわりのないものから、本当に個人的な思いを綴ってあるものまで。私に対する感想はというと、長所は天真爛漫で底抜けに明るい点、短所は仕事を仕事として割り切ることができない子供っぽさだとというものだった。要するに良くも悪くも子供っぽいのだ。

今はとある印刷会社で営業をしている。今の会社に入社した時、一緒に働く人からは、最初はいわゆる大企業のサラリーマン的な感じがしていやな感じの奴だったといわれたことがあった。今の職場は、上司先輩らみな個性が強く、好き嫌いで仕事をする人ばかりで個人商店のようなスタイルだ。前の会社は、組織系統や方針管理がしっかりしている大企業だったので明らかに真逆の会社なのだ。だから今はこんな私でも周りとうまくやっていけるのだと思っている。

これまで私はいくつかの会社を経験してきたが、私に対する人の評価というものはたいてい前向きで明るいというものが多かった。私個人としては、社会人として20代、30代に一緒に仕事をした人達から、そのような評価を受けることは正直あまりうれしく思っていなかった。なんだかほかに褒めるポイントがないから漠然とそういう評価になったのではないかと思っていたからだ。 

社会人になってはや15年以上が経過した。かなりの時間がかかったが、大掃除で見つけた10年前の自分への評価を素直に受け止め、改めて自分は天真爛漫、底抜けの明るさが最大の長所であると理解し、これから先に時間を共有する方々とまた新しいもう一人の自分を作り上げていきたいと思う。

以下藤原和博氏著 『味方をふやす技術』から引用

「自分探し」で何年もモラトリアムするより、「もうひとりの私」を何人も持つほうが豊かになれる。 -中略ー 逆に「いくつもの私」が「私」であって、とりあえず今の私と「もうひとり」くらいさがそうかと、ラクに考える方がはるかに健康にいいように思う。

2人の私が、ひとりであった私よりも多層的な人とのつながりをつくる。つながりの多様さと確かさは、幸福感の源泉だ。