仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

人は皆自分の弱い部分を指摘されないように生きている

 

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久しぶりの掲載になる。何も書くことがなかった訳ではないが、とはいえテーマに貧していたことは事実だ。

最近はファッションの話か、買ったものの話くらいしか書いてなかったが、久しぶりに人間関係について書こうと思う。

時々登場する私の上司の話だが、やはりはっとさせられることを言う。

この人はとにかく仕事人間でオンとかオフとかいう感覚がない。私とは真逆で、仕事の人間関係とプライベートの人間関係を全く区別していないのだ。

そんな中、会社の中では仕事の話がほとんどになってしまうので、仕事に100%のウエイトをおいていない私は、仕事上の人間関係の話において分が悪くなる。当然飲んで本音の話をしていると、顧客や仕事に対しての熱量の点で差が生じてしまうわけだ。

そんな上司が今日、これまでにしたことのないような話をした。

それは、【人は自分の弱いと感じている部分を他人から指摘されるのが嫌だから、自分から率先して話題にしておくものだ】という主張だった。

例えば、禿げている人は、自分が禿げていることを人から指摘されるのが嫌だから、先に自虐的に話題に出して出しておいて、自らの傷を小さくする努力をしているかもしれないということだ。

笑い話として自虐的に発信していながらも、その裏には禿に対して深い悩みを抱いているかも知れないから、聞き手としては、【この人はこういっているけど、本当は深い悩みを抱えているのではないか】と、細かく想像力を働かせて人に接したほうがいいという内容だった。

なるほどそのとおりだと思った。自虐的に発言しているのは、人から指摘された時のショックを軽減する為。そんな風に考えて人に接すれば、その人の気持ちになって考えれば、その人の本当の気持ちに近づく事ができる。人との距離を詰められる人というのはやはり、そういう部分でかなりの神経を使っている。

 

その上司が今日、子供のことについて触れた。私のオフィスは私と上司ともう一人の営業担当の3人しかいないが、私ともう一人の営業担当は子供がそれぞれ2人以上いる。

この話をするときに、彼は【俺は子供のことで話ができないことを本当は凄く気にしているかも知れないのに、俺のことを良く知らない人は、いつも仲間に囲まれて楽しくやっているからいいじゃないか、ぐらいに思っている人が多いと思う】と言っていた。

そう、彼は子供がいない自分を本当は卑下しているかもしれないのだ。こんなに近くにいる私でさえ、そんな想像すらできなかった。

自分が見ている景色は、本当の景色を写し出していないことのほうが多いかも知れない。