仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

営業という仕事は百社百様

 

今はとある印刷関係の企業で営業として働いている。 というよりこれまでも所謂「営業」という仕事しかしたことがない。サラリーマンの職種なんて山ほどあるというのに。大きな会社で長く勤めていれば、ジョブローテーションで職種がかわることもあるが、5年以上同じ会社にいたことのない私には、あまり関係のない話だ。

 

大きな会社を抜けてからよく分かったことがある。 それは営業という職種の本質だ。大きな会社にいると(特にパッケージ商品を製造販売するメーカー)、自分が扱っている商品の原価が分からない。だからこの商品を販売してどれだけ儲かったのかとか、そんなことが基本的に分かっていない。分からないというよりは知らなくても仕事が進められるし、そんなことより営業は沢山売れば良いのだ。

こんなことを書くとメーカーで営業を担当している方から文句が飛んで来そうだが、私が大学を卒業して勤めた会社やその後転職して勤めた会社もだいたい同じようなものだった。

 

勿論損益計算書だとかは頭では十分理解している。ただ利益目標がない為、利益を稼ぐ為のリアルな交渉を経験しないことが多い。一生懸命販売したが、思ったより利益が上がらなかった時のあの残念な気持ちを経験することができない。次は改善して適性な利益を確保できるよう事前に準備しようという意識が芽生えないのだ。

 

その点商社の営業はちがう。基本的に自社の製品がないから、メーカーから商品を仕入れる必要がある。お客様に商品を販売した時点で利益が確定するのだ。全く持って当たり前の話だが、一つ一つの取引の中で否が応でも利益を意識することになる。

ここがメーカーの営業と決定的に異なるところだ。

 

ひたすら労力をかけても実入りが少なかったり、利益の多い仕事しか受けなかったり、営業担当者の裁量が大きければ大きいほど営業のスタイルに個性が現れてくる。ちなみに自分のスタイルもよく分かっている。私は小さい案件を数多く手がけ、地道に売上を積み上げていくスタイルではなく、比較的大きな案件に集中して獲得するのが得意なようだ。色んなところに気を配れない不器用なタイプの営業マンだ。数字の振れ幅が大きく、経営者からみたら扱いづらいタイプだ。その意味では営業マンにも経営者にも向いてないと正直感じている。

 

営業の醍醐味は、売上が上がること、同時に利益が上がること、そしてお客様が喜んでくれること、この3点に尽きると個人的には思っている。仮に今ガチガチの組織の中で、納期・価格・品質などの重要な顧客要望にあまり首を突っ込めず、また数字に関しても過去からの歴史の上に成り立っている数字と、自分の成果による数字の区別がつかず、営業職としてのやり甲斐を見出せない方は、思い切って別の会社で全く違った営業をやって見ても良いのではないかと思う。 

 

転職をする際はどうしても「これまで培ってきたスキルを活かして」というロジックになりがちだが、会社だけ変わっても意味はない。どうなるか予想もつかないけど全く違ったことをやれば、何かしら新しい発見があるはずだ。

 

勿論失敗することもあるだろう。むしろ失敗する確率の方が高いかもしれない。失敗した時の代償も大きい。それでもダラダラ悩みながら毎日同じストレスを抱えながら同じことを繰り返すよりは実りがある。

 

私も何度か決断し、違うことにチャレンジした口だ。嫌になって逃げたかったという理由の時もあったし、たった一人の人間が怖くて会社を辞めたことだってある。今考えるとあの会社はブラックと呼ぶに相応しいのではないかと思える会社もあった。キャリアアップなんてかっこいいものは、私には全く当てはまらない。

 

しかしそんな私でも今は営業という仕事をそれなりに楽しみながらやっている。昔程嫌なストレスを抱えて仕事をしていない。先日私の新しいお客様に「営業マンの中で一番楽しそうに仕事をしている」と言われた。私にとっては最大の褒め言葉だ。

 

 

営業は楽しい仕事だ。営業ほど会社によって違いのある職種は他にないだろう。一つの会社でダメでも他の会社でダメとは限らない。

もうだめだと思った時、しきり直して決断し、妄想だけで突っ走るのも一つの選択肢だ。