仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

このニュアンスわかってもらえるだろうか?

タイトルがあまり良くないかもしれないが、最近良く感じることがある。本当に年をとったなあと思う。こんなメールでのやり取りがあった。他の拠点の事務の女性からメールをもらった。20代の中盤の子だ。「A社のBさんから連絡ありました。書類がまだ届いてないから早めに手配して欲しいとのことでした。一度Bさんに連絡をお願いします。」このメールを確認した後、要件はそれほど手間のかかることではないと判断した私はすぐにBさんに連絡を取り、必要なことだけ話をした。これは昼のことだ。

 
その後外出をして帰社。諸々の処理や打ち合わせを済ませて、最終的に今日連絡をもらったメールを再確認し、返信していないものは返信をした。これがだいたい21:30頃の話だ。この時メールをもらった事務員の子にようやくBさんに電話を入れた旨を返信した。
 
実はこのやり取りの前にもう一つの出来事がある。事務員の子からメールが来る前、Bさんは私の事務所に連絡を入れてきたのだ。電話が鳴った時は私しかいなかったので、番号を見てどこからかわかった私は、集中して処理したい仕事があったから電話には出ずにスルーした。その直後にBさんが別の拠点に掛けて事務員の子に要件を話したという経緯なのだ。
 
翌日私からのメールを受け取った事務員の子は、私に「Bさんに連絡を入れていただきありがとうございます。」という返信をよこした。彼女が本当にありがたいと思ってそう発信したのか、単に気を使っただけなのかよくわからないが、私はこの返信に違和感を感じざるを得なかった。この場合、連絡を入れて当たり前だろう。むしろ責任感の強い人なら、夕方頃までに「連絡入れてもらえましたか?」ぐらいの催促があってもおかしくはない場面だ。彼女からは催促はなかったので、そこまで責任感の強いタイプではないだろう。であれば、伝えることは伝えたからはあとは連絡を入れようが入れまいが知らんというものだろう。ただ、翌朝私からの返信を確認した彼女は何か返信をしないといけないと思って便利なありがとうという言葉を使ったのだ。でも待てよ、私が彼女からメールで連絡を受けて、Bさんに連絡を入れたことの何が、彼女は嬉しいと思うのか?まさか私のいうことを聞いてくれて嬉しいなどということはないだろう。この場合、とりあえず返信する内容として、(Bさんに連絡を入れたことを)わざわざ伝えてくれてありがとうというのなら分かるのだ。
 
本当に重箱の隅をつつくような話だが、そんなことが時々気になったりする。この話わかってもらえるだろうか?理屈っぽい大人になりつつあるのかなあ。気をつけないと。