仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

日常の小さな感動を与え合う フランス流生活信条 ーアール・ド・ヴィーヴルー

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ブログを始めてからはや半年が経った。最初は音楽紹介をメインにしていたが、途中からは体験談や感じたことなど、私の独断と偏見も混ぜて掲載するようにした。

 
理由は2つある。一つはyahooやgoogleなどの検索エンジンで誰かに見られていることを実感したから。自分の経験がどこかの誰かの役にたつのなら、そんなありがたいことはない。私もどこかの誰かの経験談に心を救われたことがある。ネットの世界では、小さくても不特定少数との相互扶助が成り立っている。
もう一つは、書くことで自分の考えを整理し、自分の興味の範囲を知り、思考力を高められると考えたから。書くためには、テーマを探したり、文章の構成を真剣に考える。それを繰り返す中で文章力、思考力を鍛えることができると考えるからだ。
 
一方、当初の目的はもう少し違うところにあった。どこかの誰か波長の合う方と深いコミュニケーションをしたいということが大きな目的だったからだ。
 
私自身facebookもやっているが、ちょっとしたことをさらりと掲載するようなことはない。今日の昼ごはんとか、飲み会の際中の画像だとかをさらりと掲載して正直なにが楽しいのか分からなかったし、それに対して何でもかんでも「いいね!」をつけるような感覚が良くわからなかった。勿論掲載する内容とか「いいね!」をつける基準は個々人それぞれだとは思うが、私には毎日他愛のないことを掲載しまくっている人と、殆ど更新をしない人が2極化しているように思えてならなかった。
 
当Hatena Blogにしても同様に感じていて、読者が沢山いるブロガーの方の記事等、どれだけ興味深いことを掲載しているのかと思いきや、どこにでもありそうな日常を時系列で記載したようなものも結構あり(そんな記事にもスターが沢山ついている)、文字数が多いだけでfacebookとさして変わりがないのではないかと思っていた。
 
 
さて、私の好きな藤原和博氏の著書にこんなものを見つけた。彼の著書にはよくフランス流の生活信条「アール・ド・ヴィーブル」についての記述がある。藤原さんはアール・ド・ヴィーヴルをこんな風に紹介している。(以下は「お金じゃ買えない!」藤原和博著 より抜粋。)
 
「何よりもそれは生きることを楽しみ、日常の平凡さから抜け出る知恵です。ご婦人に道を譲りながら髪型や服装を褒めることや、料理を楽しむために美しいテーブルクロスを選ぶことも入ります。」
「それは機会を利用して楽しむ術。昨日の繰り返しを続けないことです。ゆとりある時間の中で生まれる楽しみ。義務感へのアンチテーゼではないでしょうか」
「電車を1台やり過ごし、次の電車で座っていくことから始まります。時間をとって行動にゆとりを持てば、人は胸いっぱいに人生を呼吸できます。」
日常の中にアール・ド・ヴィーヴルが息づいている。これらは皆、20代前半の若者の証言だ。
ー中略ー 
生活のそこここにある人と人とのふれあいの中で、なんでもいいから小さな感動を与え合う人生。
 
私は自分が大きな思い違いをしていたことに気づく。facebookやブログ上で繰り広げられる他愛のない日常の記述は、昨日とほとんど変わらない成熟社会としての現代日本で、ネットを通じて知人と小さな感動を共有する手段、「アール・ド・ヴィーヴル」の実践なのだ。勿論全てがそうではないだろう。でも、facebookやブログをそういう小さな感動の共有場所として、藤原さんの言葉を借りて言えば、「自分と他人の間にクリエイティブな関係を創る」手段として有効に活用している人も多数存在しているのだ。
 
Facebookなら昔からの友人や同僚との、ブログなら読書との関係やブログを通じてコメントしあった方々など時間をかけて築いてきた仲間との豊かなコミュニケーションの場として、多くの人が活用しているのだ。
 
だとすれば私はこれらのツールを全く使えていないことになる。というよりはようやくスタート地点に立てたのかもしれない。最終的にはいろんなテーマで深くコミュニケーションできる関係を色んな人と築きたいと思っているが、いきなりそういう風にはならないのは当たり前だ。日常の小さな感動の共有も含めて時間をかけ、コミュニケーションを継続する。人と人との豊かな関係構築に時間がかかるのは、リアルの世界もネットの世界も全くもって共通する。