仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

男の勲章

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以前のブログでも詳細は書いたことがあるが、「今週のお題」が「嬉しかった言葉」という事で、私としては真っ先に思い当たる事があったので投稿する事にした。

最近では号泣してしまうような話や一風変わった体験談など、至るところで目にすることができるが、そんな類のものでは全くなく、実に平凡な話だが・・・。でも以前に書いたブログを時折読んでいると、その部分に差し掛かると何度読んでもウルウルとしてしまう。
 
私の長男は心臓に疾患を持って生まれてきた。2年前に大きな手術を経て、今はもう普通の子供同様全く持って元気だが、治療には5年以上かかった。治療の際の細かい経緯は別のブログに記載しているのでここでは細かく書かないが、初めての子供が心臓に疾患を抱えて生まれ、今すぐの緊急性はないものの、経過を観察しながら何年後かには手術をしないといけないとの診断を受けた日の事は、一生忘れられないと思う。
 
5年間の経過観察の間、私たち夫婦は3ヶ月に1度の診察の際、「疾患がなくなっていれば良いのに」と淡い希望を抱いたものだが、全てが医師の想定通り大きな変化なく推移した。病気と言っても特に何か大きな症状があるわけではないので、日頃の元気な様子を見ていると病気の事は忘れてしまうのだが、時折フッと私たち夫婦の心に現れては現実に引き戻し、不安な気持ちを想起させたものだ。
 
人間の感覚は鋭いもので、心のこもった対応や会話とそうでないものをある程度判別する事ができる。
 
子供が手術する前に詳細な検査を行うために行ったカテーテルや、手術本番の時私は会社をそれぞれ一週間ほど休んだが、その前後に身近にいる人はそれなりの言葉をかけてくれた。ただ、私としては彼らの言葉に違和感を覚えた。感情が伴っていないというと簡単だがそうではない。私の身近にいる人は、子供がいない人ばかりなので、イメージができないだけだろうし、それはしょうがないなと思っている。また、ごくごく一部の上の人は、長く会社を休む事に批判的だったらしく、その事は後から分かったが、いずれ彼が社長になる時には、私は会社を離れようと思っている。
 
一方その時マクドナルドの仕事の時だけ一緒に仕事をしている幹部がいて、2週間に一度程度は都内で打ち合わせをしたりしていた。病気の内容や手術の必要性など諸々の情報は、他の人同様に私の方から話をしていたし、手術がうまく言った事や、どうしても傷が残るから小学生のうちはその傷が原因で他の子からバカにされたり、いじめられたりするのではないかという不安がある事についてもさらっと話はしていた。
 
ある時新宿のマクドナルドを訪れた後で、「今日はちょっと昼飯付き合ってくれ」と誘われ、いつも行かないような銀座ライオン的なファミレスで昼食をとった。席に着くと彼は「こんな場所じゃないとゆっくり煙草も吸えない」と言っていたので、私は煙草が吸いたかったんだと思っていた。オーダーをしてランチを待っていると、彼はおもむろに話始めた。
「この間聞いたお子さんの話だけど、俺なりにちょっと考えてみたんだけど・・・。」
手術は上手く行ったものの、子供の胸に刻まれた傷を案じているという私の話を受けて、傷の意味や子供に傷の事をどういう風に説明したら良いかという事を真剣に考えてくれたのだ。
「傷は5年間に渡る長い戦いの末に、一旦は心臓を止めて行うような大きな手術まで乗り越えて得た男の勲章。5歳の小さい子供がそんな大きな事を乗り越えたすごい事だ。」という内容だった。
 
私としては、内容なんてどうでもよかった。ただその人が真剣に考えてくれた事が嬉しかったのだ。些細な事かもしれないが、私にとっては衝撃的な事だった。その場ではありがとうといって済ませたが、後々になって何かの飲み会の際に、私は号泣しながらもう一度きちんとありがうと感謝の気持ちを伝えた。
 
他人の事を自分の事のように真剣に考えるというのはとても難しい事だ。ビジネスのように何かの見返りがあるわけでもないし、ましてや家族でもない赤の他人だ。私も他人を真剣に思いやれる人間になりたいと切に思う。少数でも人と深い部分で繋がる事ができる人間になりたいと思う。
 
長男は今年小学2年生になった。最近の縫合技術はすごいもので、細い線が15㎝程度胸にあるという程度にしかわからない。このまま成長とともに見えにくくなれば良いと思う一方で、長い戦いの上で得た勲章はきちんと心に刻んでおいて欲しいと思う。