仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

私の幸福論 ー 血縁よし 養子縁組もよしー 長谷川豊氏 「本気論本音論」に同感

仕事での移動中や、空いた時間にネット上で興味のある情報収集をするのが定着して久しい。昨日長谷川豊氏の公式ブログ「本気論本音論」がフェイスブックに流れてきたので記事を読んだ。彼のブログは本当に言いたい放題なので反論がやまないらしいが、私はなぜか彼と同じような意見のことが多い。共通点をあげるとすれば、家族や子供が大好きなお父さんというあまりにもざっくりとした最大公約数的なものしかないが、今回の少子化の原因のような話題に関しても、私が以前から漠然と感じていたことが書かれており、本当に共感できる内容だった。

自分がどのような思考プロセスで子供が欲しいと思うようになったか、未だにあまり明確でない。自然にそう思うようになったかというとそうでもなく、欲しいという確かな意思が存在した。私は子供の頃から、自分が大人になったら子供は最低二人は欲しいと思っていた。人口を減らしてはいけないと何気に思っていてからだ(勿論社会保障制度のことなど知りもしなかった頃だ)。時々同じ世代で、同じ考え方の人に出会うことがあるが結構嬉しいものだ。

長谷川氏の主張では、少子化の原因の一つは、子供を産める世代の若者が、子供よりも何よりも自分自身が中心の人生が好きなためだとしている。私も全く同意見だ。しかしながら、子供を作らず結婚もせず、今自分のやりたい事をするだけの人生が悪いと言っているわけでは勿論ない。例えば私の直属の上司は「豊かな人生」をモットーにしており、結婚はしているが家に週に2度程度しか帰らず、社宅的な会社の施設を転々としている。そして事あるごとに会社関連の人と飲んでは熱く語る事に喜びを感じている。人とのコミュニケーションが幸福感の源泉なのだ。そんな上司だが、本当に素晴らしい部分も多く、尊敬できる人物なのだ。夫婦の関係についても二人が互いに「今が理想の状態」であれば何の問題もないし、誰かに何か言われる筋合いもない。制限はあるが、誰もが幸福で自由な人生を送る権利が憲法13条で保障されている。

一方で成人が結婚をしなくてはならない義務はないし、ましてや子供を作らないといけない義務も勿論ない。私たち日本国民に課された義務は、「労働」「納税」「教育を受けさせる」義務の3つだけだ。子供のいない人は働いて税金さえ納めれば、国民にとしての義務を果たしている事になる。

ただなんとなく、幸福を感じる事ができる期間は、無償の愛を注げる存在がいる時間とイコールではないかと感じている。私の場合、子供であり、奥さんであり、両親、兄弟の存在だ。最終的な目的が、幸福感を得る事、幸福な人生を送ることであるなら、自分自身が中心で自分のためだけに生きるより、少しでも人のために生きている時間が長いほうが、案外幸福感を得やすいのではないかと感じているのだ。

長谷川氏は、少子化の対策として一部の子供が好きな大人をとことん優遇して、二人と言わず、三人、四人と子供をもうけられるようにすれば良いと主張している。また、子供が好きだが、どうしても恵まれない夫婦について、外国での常識としての「養子縁組」を紹介している。

私たち夫婦も多分子供が大好きで、本当はもう一人でも二人でもいいなあと思っていた。ただ奥さんは二人目を育てる時に精神的にきつかった経験から、三人を同時に育てる心のゆとりが持てないという不安のほうが大きかったし、そうこうしているうちに年齢的にも難しい年齢になった事もあり、三人目を断念した経緯がある。

昨日奥さんにもこの記事を読んでもらったあとで、「本当に三人四人の子供がいる世帯が極端に優遇されるような社会環境になれば、養子縁組を利用して小さな女の子を迎え入れたいね」と申し出てみたら、嬉しそうな顔でいいねと答えてくれた。私としてはかなり嬉しかった。血の繋がりがない事については、現実問題複雑な事情があるのかもしれないが、近い将来本気で実現するために制度事情を調べてみようと思う。