仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

実践を目的とした読書

人生に悩んだり行き詰まった時には、自己啓発関連の本を読むことが多い。困った時の神頼みではないが、何かの打開策を模索し、人生の緒先輩方の体験を追体験すべく書店で幾度もいろいろな本を漁ってきた。

とにかくたくさんの本を読んで、それらのエッセンスを日々の生活に取り入れる、または考え方に反映する。こういう読書は確かに「なりたい自分」「理想の自分」に近づくためには効果的だと思う。

ただ、自分自身がそうであったように、本を読んで、理解・納得、もっといえば感動した内容でも、一定時間が経過した後でそれを生活のなかに習慣化させ、継続的に実践できているものがどれだけあるのか?を考えると、残念ながら私の読書は効果的なものではなかったと結論づけることができる。

今になって考えると、そのときの自分が傷つかないように、その時の自分にとって都合のいいことをピックアップしていただけなのかも知れないと考えてしまうほどだ。

沢山の先輩方の体験を知ることは悪いことではない。多くの人の体験に基づく主張を、本を通じて知るうちに、この主張は別の本でも主張されていた内容だという気づきは沢山ある。アプローチや結論は違うにしても、人間関係や仕事の進め方等に関してこういう風にした方が良いというセオリーのような黄金率は確実にあるように思う。

その中のひとつの要素ではあるが、「大人の勉強はアウトプットのために行うものだ」という主張があった。確か大前研一氏の著書に記載されていた内容だと記憶している。

最近これからの人生をどういきるかという点について、大きな感動を覚えた本3冊に出会った。そのうち2冊は同じような内容のため、実質は2冊の本だ。

一通り読んで内容は十分理解できた。ただし、人にそれを説明しようとした時、その論理構成や、流れを定着化させていないため、なんとなく各論のみの説明にとどまってしまう。

それらを本当に自分のモノにしたければ、その論理構成をしっかりと理解し、且つ記憶に定着化させた上で、あたかもそれが自然であるかのようになるまで実践し、定着化させる必要がある。

よく分からない数学の公式を理解し、問題が出たときに瞬間的にどの公式を当てはめるのが良いのか、誰もが学校時代はそういうことを繰り返してきた。

ならば大人の勉強も同じで、なりたい自分を実現するために、読書によって出会った処世術、あるいはアプローチをしっかりと理解し、その上で定着化、習慣化できるまで実践することが不可欠ではないかと思うわけだ。

誰かの体験に絶対的な信頼を置き、十分な理解の上で何年もかけてそれを実践してみる。大切なのは多くを知っていることではなく、信じて実践してきた結果として得られた生々しい自己変革の実感ではないかと思う。