仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

ちょっとだけ幸福になるために ー電車内のマナーは向上したか?ー

埼玉県を本拠地にしているラジオ局でナックファイブという局がある。そのラジオ局で最も有名なパーソナリティーといえば、大野勢太郎氏だ。先日随分久しぶりに氏の番組を聴いた。相変わらずの人間味あふれる話しっぷりに、成熟した男性像を見ることができた。

当日のテーマは電車の乗車マナーは以前より良くなったか、悪くなったかというものだった。リスナーからの投稿では、よくなったという人もいれば、悪くなったという人もいて、また、誰が悪くなったという点では、「若者」と同様に「高齢者」という声もかなり聞かれた。

確かにおばあさんが、電車内で声を抑えることなく電話で話している状況に出くわすことが多く見られるようになったと思う。でもまあ極端に目につくわけでもない。一方若者に関して電車で大声で話をするのは自己顕示欲の表れというか、それはある程度仕方のないことだろうと思う。大野氏も昔は大声で話をする若者に不快感を感じていたそうだが、今は「元気があってよろしい」と思えると言っていた。私もそんな風に思えるように年を取りたいと思う。

他には車内での飲食、女性の化粧も結構減ったのではないか?と素肌感では思うが如何だろうか?

逆に悪くなった点を考えてみると、私個人的には座席の座り方に身勝手な人が増えたなあと感じている。電車を待っている間、先に並んでいる人が先に車内に入って好きな席に座れるのは当然としても、座席を広く確保できるということにはならないだろう。でも人によっては、俺が先に座っているのだから、後から座った人は窮屈な思いをして当然という状況に出くわすことが多くなったように思う。

個々人の要求いろんなところで少しずつ高くなってきている。親に対して、パートナーに対して、子供に対して、隣人に対して、会社に対して。自分が不快な思いをしたくないが為に周りに対して求めることが段々多くなってきている。求めるレベルが高くなってきている。

外部に対して求めることが多くなれば多くなるほど、人は幸福を遠ざけてしまう。私の場合、電車の乗車マナーについて不満点も上には記載したが、総じて良くなったと感じている。実質的に良くなっているかどうかは、正直わからない。だが、素肌感としてそう感じているということは、多分自分自身の要求・要望のレベルが下がったからだろうと思う。電車内でのマナーについて以前よりは寛容になったということだ。『(自分以外に対して)要求・要望のレベルを下げること』これは間違いなく幸福になる為の一つのポイントだ。久々に大野勢太郎氏の声を聴いて、ふとそんなことを実感した。