仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

感動は面と向かってまっすぐに伝えたい

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私は業務内容的に食品関係の企画部門を訪問することが多く、部署的にどうしても女性の担当者が多い。昨日ある得意先の担当者と打ち合わせをしていて、ふとその方が立ち上がった際に、お腹が大きく見えたので、もしやと思った。結婚をしたことは聞いていたし、別に何もおかしくはないのだが、その会社は年頃の女性が多く、また最近は不妊治療を受けている人が多いと感じていることもあり、声の比較的大きな私が、打ち合わせスペースでその話題に触れることは、さすがに憚られた。一方では、妊娠しているのではなく、ただ太っただけということになると、かえって失礼になるという懸念もあったのだが。

 
そこで打ち合わせが終わってから、「間違っていたら申し訳ないんだけど…」という切り出しで、そのあとは言葉にださずに子供出来たの?というあのお腹の前で手を丸めるようなジェスチャーで確認をしたことろ、5ヶ月になったのでそろそろ皆さんにお伝えしてもいいかなと思っていたところだったとのこと。その方は、その話題になったときすごく嬉しそうな笑顔をしていた。
 
私の身近にいる親しい人たちはなぜか子供に縁のない人たちが多く、子供はおろか結婚さえする予定がない人もいて、私のように家族が一番のマイホームパパの気持ちを分かり合える人たちが皆無なので、知っている人に子供ができたなどという話を聞くと真剣に嬉しく感じてしまう。ああ、この人もこの先子供と家族に囲まれて、大変なこともあるけど私と同じように幸せな時間を過ごすことになるんだなあなどと、ポジティブに思い込んでしまうのだ。そしてその日の夜会社を出る前に、その方に「おめでとうございます」のタイトルで、少々長めメールを送付した。
 
翌日にその方から頂いたメールの中に、「思いのほか皆さん喜んでくれた」というコメントがあった。思いのほかという言葉の真意はわからないが、社内外でよく知っている人だけでなく、普段あまり話さないような人からもおめでとうと言われた、つまりたくさんの人がいる職場で「おめでとう」のムードが公然となった、というようなことなのかと思った。
 
だとしたら、先に記述したような周囲への配慮は実は必要ないのかもしれない。勿論子供ができなくて苦しんでいる人もいるだろうし、もう子供は諦めた人もいるかもしれない。が、子供ができて喜んでいる人がいたら、そんな時ぐらいは職場であっても自然に祝福ムードになってほしいものだと思う。
実際私も気付いた瞬間にその話題にに触れ、まっすぐにしっかりとした口調で「おめでとう」と言いたかった。やっぱりこれからはそうしようと思う。子供ができない人や諦めた人には本当に申し訳ないが、そんな時だけは少し配慮のない言動を許してほしい。