仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

メディアの報道の仕方 ーある医師の「クソ、死ね」発言について

今朝通勤途中で見たある番組で夜中救急で運ばれてきた患者の父親に対し、「クソ、死ね」と発言して話題になった、とある医師について取り上げられていた。

 
患者は6歳女児、父親はブラジル人。父親は、入院と診断書を求めて1時間以上食い下がったが、病状は急を要するものでもなく、他に患者がいたこともあり、医師は病院としてのルールを説明した。
しかしながら、父親はその後も執拗に食い下がり、とうとうその医師が「キレ」てしまい、語気を荒げて問答した上で、最終的には「クソ、死ね」とつぶやいたそうだ。それを聞いた父親が、医師が絶対に言ってはならない言葉だと指摘。医師はさすがに反省し、その場できちんと謝罪するも、父親はその後一部始終を記録した映像をネットに公開した為、話題になったものだ。
 
報道番組のコメンテーターは何人かいたが、皆どちらかというと医師の最終的な発言を断罪し、きちんとした説明の上で理解を得るべき、医師としてのモラルを問う、というようなコメントに始終したことに私は非常に違和感を感じた。
 
撮影された動画だけを見ると、医師が語気をあらげて命令口調で吐き捨てるように話しているので、どう見てもそれはないでしょ!って思ってしまう。しかし、その前に1時間という長時間諸々の説明をしていること、他の患者もいたこと、そもそも急患を診る場所だということなど、その他の状況を聞いていると、私としてはどう考えても医師に同情を覚えてしまう。
 
今回は父親が外国人ということもあったからこれだけ話題になったのかもしれない。若い医師が外国人に対して差別的に接したというような論調になっているのだ。勿論「死ね」はまずいだろう。この発言は大いに非難に値する。ただ一方で、我が子可愛さはわかるが1時間も何をごねる?私も同じぐらいの子供のがいるからある程度はわかるが、社会にはルールがある。病院というところは特殊な場所だ。ましてやそこは急患の受け入れだ。場合によっては人の生死を左右する過酷な現場と化すこともあるだろう。そんな場所だから、ルールは厳守されるべきだ。病院サイドとしては融通など効かせる必要など全くない。外国人であろうが日本人であろうが関係ない。大人なら、その辺りのルールを理解し、医者の診断を受け入れ、我が子を心配な気持ちを飲み込んで、翌日きちんとした医師の診察を受けるべきだ。個人の感情的なわがままなど論外だ。
 
私としては瞬間的にそのように感じたので、何人かのコメンテーターに違和感を感じたのだ。幸い最後のコメンテーターは私と同じ方向性の考え方だった。この方のコメントがなければ、番組としては医師だけが悪いというような論調だったので、本当に怖いなあと感じた。
 
特にテレビのようなメディアは何十万、何百万という視聴者に訴えかける。ゆえに今回のように単一的な偏ったコメントは、視聴者に偏った情報だけを与えてしまう。テレビのコメントになんの疑問も持たず受け入れる人も多いだろう。実際ネット上では、医師を非難するような書き込みが圧倒的に多かった。
 
今回は病院名も出ていたので、簡単に個人が特定できてしまう。この医師は、これらの偏った情報だけを鵜呑みにした人から、制裁を受けることになる。そしてその制裁はどういう形で具体化されるか想像もできない。だから特に生放送のコメンテーターは発言に慎重になる必要がある。今回は当事者が2人いる。どちらかが絶対悪などということは、レアなケースだ。どちらの感情にも理由がある。その点を考慮せずに、テレビという場で簡単に人を裁くことがあってはならないと思う。
私としては、本件はどちらも同じぐらい悪いと思う。