仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

困っていない時の神頼み ー感謝する心を強くするー

困った時の神頼みというが、神様からしても困った時だけ頼まれても・・・と思うのではないか?私はほぼ毎日将門首塚と湯島天神に参拝している。根拠はよくわからないが、毎回5円玉を10枚づつ投げ入れて。

きっかけは、会社から半ば強制されたことだ。最初は反発しながらも嫌々適当に参拝していたが、今では自分から進んで参拝している。朝の8:00頃から車で都心部を回るわけだが、小一時間はかかる。そんな時間があるなら何か別のことに使えそうだが、それだけの時間をかけてでも必要だと思っている。

毎日毎日何かをお祈りしているわけではない。ただやっていることは「昨日も1日家族や会社の周りの人が、健康で且つ無事に過ごせたこと」ただその一点に感謝をしているのだ。別に信心深い訳でもないし、参拝することで、不遇から逃れられると本気で考えている訳でもない。ただ、世の中には本当に不運なことがある。

山梨のトンネル崩落事故はまだ記憶に新しいと思うが、あの日あの時刻に、しかも高速で走行していたことで崩落事故に遭い、命を落とした人がおられる。この確率は計算できるようなものではないが、不運としか言いようがないだろう。何もこんな大きな事故でなくても些細な不運はたくさんある。本当に稀有なケースではマスメディアによって報道されるが、水面下にはそれ以外のよくある不運が沢山存在するはずなのだ。

いつもどこかで誰かがそんな不運に見舞われているのなら、今日私が、私の最愛の家族が、親族が、身近な人が、そんな不運に見舞われずに済んだことは感謝すべきことだと思っているから毎日のように参拝を継続しているのだ。どこの神社がどうでとか、ここの神様がどうでとか蘊蓄めいたことは正直どうでも良いと思っている。基本姿勢はあくまでも、昨日も1日家族が存在してくれたことへの感謝だ。

勿論仕事上で困った事態に陥ることもよくある。そういう時でも「なんとかうまく事が運びますように」とか「問題がこれ以上悪くならないように」という風に祈ることはない。発生した問題に対し、「こんな問題が発生したから、こんな風に誠実に対応する。」と、こういう感じで宣言するようにしている。そうして限られた時間の中でとにかくやれるだけのことをやる。「今の自分にはこの時間内でできることはこれだけ」と思えることをやる。あとは、お客様次第だ。それでもダメなのか、良いのか、その判断は私が決めることではない。この時、お客様の判断が良い結果になってほしいがために、参拝をしているのだ。一般的な神頼みを自分なりに解釈し、自分なりの決まり事を作って、自分で継続しているだけなのだ。

結果的にうまく行ったのは、私が最善を尽くしたからではない。お客様が問題ないと判断しただけだ。そう考えれば、自分の力など微々たるものだ。「人事を尽くして天命を待つ」というような格好いいレベルの事ではない。誰でも今すぐ始められる程度のことだ。

先週末に大きなクレームになりそうな事態が発生した。今回私にできることは本当に限られていたと思うし、実際に大したこともできなかった。でも今日の夕方には何事もなかったかのように解決できた。勿論明日の朝一はいつもの感謝と、今日うまく事が運んだことのお礼をするつもりだ。明日の報告を今から楽しみにしている。
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