仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

福山雅治 「魂のラジオ」終了に垣間見るノスタルジー

3月28日に23年間続いた福山雅治の「魂のラジオ」が終了したと昨日の朝の報道番組で取りざたされていた。当日は有楽町のスタジオ前に3000人ものファンが詰めかけ、番組終了後福山さん本人がファンに向けてコメントをした午前1:30頃でも1000人程度の人が残っていたというからすごい。都内23区内に住んでいる人ならタクシーで帰宅できようものだが、おそらくこのためだけに遠方から上京し、都内に宿泊して参加した方も多いのだろうと容易に想像がつく。

 

私は、奥さんが福山雅治のファンなのでラジオが終わることを知っており、また私は別にファンではないのでそこに特に感慨深いものはなかった。終了する直接の理由は本人もコメントしている通り、「眠いから」とシンプルな理由だ。特に龍馬伝の頃から体力的な限界を感じ始めたそうだ。

 

これほどファンの多い福山さんのことだから、終了の理由が他にもないのか?という事が色々憶測を呼んで話が大きくなっていたようだが、朝の報道番組ではラジオの深夜生放送を始めた理由について言及されていた。

 

彼が小学校6年か、中学1年生のときに聴いていた「笑福亭鶴光オールナイトニッポン」に大きな影響受けているようだ。今のようにインターネットがそれほど普及していない時代、ラジオは深夜の孤独な時間に外界と関われる唯一の手段だった。多感な少年福山を、シモネタを交えて刺激を与えてくれたのが、ラジオの存在だったというわけだ。

 

ならば今度は自分がパーソナリティとして、当時の自分のような多感な青春時代にある少年少女達などの深夜の孤独を埋め、刺激を与える存在になりたい、彼は芸能界に入った時からANNのラジオ番組を持つのが夢だったようだ。

 

その想いで22歳のときに番組は始まった。今45歳だから人生の半分以上続けてきた格好だ。それだけ続けてきた番組だから「終わり」に焦点を当てると、自身も年を取り、いろんなリスナーとの会話の中で生まれた様々な想いもあるだろう。番組の中身を見ても色んな企画が展開される中で深夜のファンの交流の場として、リスナーも老若男女問わず幅広い世代に定着している。龍馬伝の頃からは高齢者のリスナーも増え、良い意味で番組が一般化し、「終わりの理由」は身体的な事情しかなかっただろうと思う。

 

一方、時代は変わり、多感な少年少女達に深夜の孤独などなく、LINEでの際限のない繋がりにむしろ疲弊している状況だ。ネットやLINEで外界との接点が多すぎてむしろ孤独を切望している真逆の構図も存在するだろう。昔みたく深夜が孤独なものではなくなったし、ラジオ以外にも人と繋がれる選択肢はたくさんある。番組を「始めた理由」はすでに意味をなさなくなってしまっているのだ。30年以上も前に福山少年がラジオに求めたつながり感は、全く別のものにとって変わってしまった。

 

今回の番組終了には、そんなノスタルジーも影響しているのではないか、テレビの報道を見てふとそんなことを考えた。

 

福山雅治の曲で私が一番好きな曲だ。どこかノスタルジーを感じさせる曲だと思う。
【遠くへ】