仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

子供の記憶に残る家族の時間

昨日の夜ふと興味があって、長男にこれまでの記憶の中で最も楽しかったことは何かと尋ねたら、しばらく考えた後で、茨城のアクアワールドの横にある海岸の波打ち際で、びしょ濡れになって遊んだことだという答えが返ってきた。

このとき、アクアワールド(サメが多い水族館)に行ったついでに近くの海岸で遊んだというわけではなく、アクアワールドが一杯でまともに水槽をみて楽しむことができないと判断し、やむなく近くの海辺で水あそびをしたという経緯なのだ。しかも当の長男は水遊びなんて面白くないということで最初は遠くの方で私と次男が遊ぶのを見ていただけなのだが、しばらくしてちょっと面白そうに感じたのか、自分も参加してきて、最後には腹の辺りまで水浸しになって打ち寄せる波でめい一杯遊んだというものだった。

私たち夫婦としては、ちょっと意外な答えだったが、なんとなく頷ける気もした。この波打ち際でのあそびはじつに単純なもので、丁度波がザバーンと打ってくる瞬間に抱っこしている子供を着水させて足に波を当てるというものだった。次男は波が足に当たる感覚とか、波が引いていくときの感覚をすごく楽しそうにしていた。長男はそれを見て自分もやってみたいと思うようになったのだろうと思う。

確かに子供はあそびの天才で、何か新しい道具や初めて訪れた場所でも自分なりに工夫して楽しむことができる。ただ、それが幼少期の記憶として、その先子供が大人になったときに残って行くかどうかは別の問題だ。私は子供が大人になっても、幼少期の楽しかった思い出をなるべく多く記憶に残しておいて欲しいと思っているので、昨日長男の話を聞いたときには、これからの子供達との遊び方や、子供の記憶に残る家族での時間の過ごし方について、大きなヒントを得たような気がした。

感覚的なものなので、経験に基づいた定量的な根拠はないが、今後ポイントを具体化できるように実践してみようと思う。

ちなみに私の場合、子供の頃の記憶として最も大きいのは、父親と小学校で毎日のように野球の練習をしたことだ。父と野球をしていたのは丁度小学校3〜4年生の頃で、丁度長男がそんな歳に差し掛かろうとしている。特に子供をもってから父との記憶、母との記憶について考えるようになったが、父には本当に遊んでもらったという思いがあり、本当に感謝をしている。だから私も同じように子供と遊んであげたい、というよりは、(私と同じように)子供には父親に遊んでもらったなあと記憶に残して欲しいと思っている。

グッドデザインカンパニー代表の水野学氏の著書「センスは知識からはじまる」にこんな記述がある。以下引用 ー美しいという感情は基本的に未来ではなく過去に根ざしていると思っているー。

子供達が大きくなったとき、家族で遊んだときの記憶が、あるときから特別な意味を持って感じられるような、そんな時間をたくさん仕込んでいきたいと思う。