仏(ほとけ)と言われる私のエッセイ

テーマはバラバラですが、ちょっとしたことを私なりに掘り下げて書いています。喜怒哀楽のある豊かな今後に向けて想いを綴りました。最初は音楽紹介から入りましたが、少しづつ変化してきたのでブログタイトルも変更します。

決断を繰り返せ

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お題がどうしても大きなテーマなので、さて何を書こうかと思ったが、自分の体験の中で、少し変わった経験だとか、すごく苦しんだ経験だとか、後に美談として語れるような事柄だとか、多分皆さんが書くであろうそういうものを、私も書くことができれば良かったのだが、残念ながら私にはそんなものは無さそうだ。かわりに、ここ数年の中で確信するようになったことについて書き留めて置こうと思う。


さて、自分が考える理想や大きな目標があり、それを実現するために「よしやろう!」と決断したとしよう。その場合、なるべく項目を細分化、具体化し、なりたい自分から今の自分を、各項目毎に引き算すれば、何が足りていないかがわかる。それらをどう補って行くか、具体的なトレーニングをあげてスケジュール化し、見える化して行動すれば道は開ける。おおよそ世の中の自己啓発本に書かれているのはこんな内容ではないだろうか。

誰しも一念発起し、大きな目標を掲げたことはあるはずだ。でもそのほとんどの目標は達成されないまま、消えてしまう。数年前までの私も勿論例外でない。どうも問題は方法論では無さそうだ。

いつだったかよく覚えてないが、ある日「こんなにお金を使い過ぎていてはいけない」と何故か危機感のようなものを感じた私は、このことをきっかけに、まずはお金のかかる昼食代を減らそうと、朝起きて自分で弁当を詰めて会社に持参する事にした。幸い小遣い帳のようなものをつけていたので、何を削れば効果的かはすぐに見出だすことができた。そして昼食代がなくなれば(実質的にはなくなるわけでははないが)、いくら支出を削減できるのか、小遣い帳で一目瞭然だったので、始めてから1ヶ月間やりきった時は結構な達成感があったことを覚えている。

弁当を持参し始めてからは、他の無駄な支出を減らすことにもストイックに取り組めるようになった。数年前におぼろげではあるが感じた、お金にルーズではいけないという危機感のようなものを今はもう感じることはなくなった。小さなことではあるが、これまでの自分を変えることができたのだ。

私も過去に何度も、ある目標を掲げては断念してきた経緯がある。いや断念という言葉は適切でない、ただただ続けられなかっただけだ。でもこの時1ヶ月続けてみて、「やれる」という実感があった。そしてこの時の実感が、時間経過と共に大きくなり、今はもう「継続できる自信」にしっかりと育っている。

「継続できる自信」。目標達成のポイントはどうやらこの辺にありそうだ。考えてみれば当たり前の話だが、皆これができない。どうしたら継続できるようになれるのか、何故私は変われたのか、正直なところはわからない。

ただ、「今日はこれをやるのかやらないのか」をしっかりと意識して決断していたと思う。できた日は、今日の分を終えたことにいちいち安堵したし、よくやったと自分を称えた。勿論やらないという決断も意識して行った。そして継続できなかったことを十分に悔いた。毎日だ。

経験上、体調が悪い日は必ずと言っていいほど今日のメニューをこなせない。また、体調が悪くなくても気分が前向きでない日もある。そんな時でもさらっと簡単に先延ばしにしてはいけない。明日は必ずやらなきゃと自分に危機感を持たせて今日やらないことをしっかりと決断するすべきなんだ。それができればたとえ断続的(だんぞくてき)であったとしても継続する力を育んで行けるはず。そして継続できた時間は自信に変わる。

ある時大きな決断をした。だがその一度の決断だけが重要なわけではない。極論するならそれは、いわば目指す方向を変えるだけの行為だ。過酷な日々はそこから始まる。今日も自分の向いている方向に進みたいのかを確認し、そして前に進むのか、その場にとどまるのか、それとも後退してしまうのか、大切なのはむしろそんな日々の細かい決断の繰り返しと今は確信している。

人生80年時代に突入し、私の人生も既に折り返しレーンに入ってしまった。だが後半戦はまだ始まったばかりだ。今なら何事も決めたことは継続できる自信がある。健康に気を配り糖質をとりすぎないように制限し始めて久しい、無駄金を極力使わない習慣が身についた。だらしない体が嫌だからトレーニングも続けている。奥さんの負担ををなるべく減らすために、自分の分はすべて自分で洗濯するし、シャツのアイロンも自分であてている。週末には魚をさばく練習も始めたばかりだ。また、去年の9月12日からは長期目標を掲げて、通勤時間を徹底活用し始めた。これを続けるのはかなりハードルが高いが、その分得られる果実は果てしなく大きい。この調子なら行けそうだ。

だから今まで通り、日々自分の進みたい方向を確認し、決断し、行動を繰り返すつもりだ。30歳を過ぎるくらいまでは、何事も長続きせず、結果を残した人生ではなかった。だが江戸の敵は長崎で打つべく、今これから行われる無数の決断が、もちろん誤った決断も多くあると思うが、私の人生の後半戦をきっと豊なものにしてくれるはずだと、今から楽しみでならない。

いつか二人の子供たちが大きくなりこのブログを読んだとき、父親の行動の背景にある考えに少しでも触れてくれたらと、そんな想いで書き留めて置くことにした。

#「迷い」と「決断」

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